吉田健一 / Kenichi Yoshida「汽車旅の酒」

 呉の賑やかな通りには、何か寂しいものがある。これも一つの町が町である為には大事なことで、昔は東京にもそれがあり、それで例えば、山手暮色というような言い方にも意味があった。今、新宿暮色だの、渋谷暮色だのと言った所で、どれだけの実感があるだろうか。併し呉の大通りを夕方、歩いていれば寂しくなることが出来る。この寂しさがパリでパリの詩人達を育てたもの、又、パリ人にパリを愛させるものなので、ボードレールの「パリの憂鬱」という詩集の題は、詩人の気紛れで付けたものではないのである。呉の人と特に聞いている詩人はいないが、それよりも大事なことに、呉では人間並みに、というのは、二十世紀の文明人並にその日その日を暮らすことが出来るのを感じる。これは当たり前なことだろうか。それでは、そういう当たり前な町が今日では余りに少ないのである。  -  吉田健一「呉の町」



挿画:駒井哲朗 / Tetsuro Komai