吉田健一 / Kenichi Yoshida「汽車旅の酒」



 どうあっても間違いないことは、我々が汽車その他から降りた場所は、我々が住んでいる所ではないということである。それで余程例えば名所旧跡に憧れたり、仕事のことで頭が一杯になったりして、他のことが眼に入らなくなってでもいない限り、我々が見るものは我々の日常の苦労を離れて他所の、他人の生活と結び附き、ただぼんやりとそこにも人間が住んでいるという感じだけで眺められる。その為に川が如何に静かに白い石の間を流れ、街の明りがどの位人間臭く横丁の塀を照すかは、旅行が好きなものならば誰でも知っていることである。そして我々が宿屋に着いて、お疲れでございましょうと言われるのは、長い旅の疲れに対してであるよりも、街の明りが街の明りにも見えずにいた日々の面倒やいざこざを忘れさせ、拭い去る為の言葉なのだと考えていい。余り一つのことに追い詰められていると、それが我々の生活であっても、我々は疲れてくる。  -  吉田健一「帰郷」